obakezukan logo
    

 ゴジラ 

オバケ度…
80%〜100%
特定状況で「出る」  × 相手無差別に「出る」   ?
会話は不可  ? 独自の論理   ?
異形の姿   ?

きもちよさそう?

学生時代、私はゴジラに憧れていた。というより、ゴジラになりたかった。

東京湾からテーマ曲と共にヌーっと出てきて、ゴマ粒みたいな人間たちにわあわあ騒がれ、ヘリコプターを熱い鼻息で吹き飛ばしたかった。何より、東京タワーを尻尾でなぎ倒したり、重要文化財を踏んづけたりしたかった。行く手を遮るものを全部破壊できるなんて、そんな胸のすくことがあるだろうか。それに、あの咆吼。腹の底からあんな声を出して空気を震わせたらどんなに気持ちがいいだろう。想像すると、うっとりした。ゴジラの皮膚もいい。ごわごわで丈夫そうで、ミサイルぐらいではびくともしない。あの皮膚の中に棲みたかった。

人並みに「かわいい女の子になりたい」という気持ちだってあったはずだが、それと矛盾しない形でゴジラ願望は強かった。当時の恋人は、私が「ゴジラになりたい」と言うのを聞くたびに、なんとも言えない困った表情になった。申し訳ないことをしたものだ。親切な人だったから困った顔程度でかんべんしてもらえたが、変人と判断されてクビになっていてもおかしくない。私は幸運だったのである。

努力してなれるならともかく、なりたいモノがモノだけに、学生時代の私は毎日をイライラと過ごした。あるいは、毎日イライラしていたからゴジラになりたかったのだろうか。どちらにしても、最近はゴジラ願望はない。いつのまにかそんなことはこれっぽっちも考えなくなった。

ゴジラの歴史

さて、熱心なゴジラファンでなければ、ゴジラが最初に登場したのがいつかは、よく分からないのではないかと思う。それもそのはず、ゴジラの歴史は古い。元祖「ゴジラ」の登場は1954年、昭和29年である。ちょうど終戦直後に生まれた子供たちが、怪獣年齢にさしかかろうという時期だ。これは東宝の期待作だったらしく、当時の平均的な映画の制作費の約3倍の予算をかけて作られている。

しかし東宝の読みはまるで甘かった。期待作とはいえ、まさかその後半世紀にわたって延々と続編が作られ続けるほどのヒットになるなどとは想像もせず、当初は1本でおしまいのつもりだったらしい。その証拠に、第1作の終わりでゴジラは死んでいる。今となっては笑い話である。

1955年になると、東宝は死んだはずのゴジラを復活させて「ゴジラの逆襲」という第2弾を作った。その後はまるで節操がない。1962年の「キングコング対ゴジ ラ」から、1975年の「メカゴジラの逆襲」で一息つくまで、ほぼ1年に1本の割でゴジラ映画が生産されてゆく。ゴジラの雪崩である。そしてしばらくのお 休みののち、80年代に2本。90年代入ると、1991年からは、毎年1本のペースを守る。





最近のタイトルだけあげておけば、1999年「ゴジラ2000・ミレニアム」、2000年には「ゴジラxメガギラス」、2001年は「ゴジラxモスラxキングギドラ 大怪獣総攻撃」、2002年は「ゴジラ xメカゴジラ」、2003年は「ゴジラxモスラxメカゴジラ」。

まったく立派なキャリアである、としか言いようがない。

こうしてみると、戦後の日本の歴史は、ゴジラと共にあった、と言ってもいいかもしれない。その中で、70年代後半から80年代にかけてのバブル時期に、なぜゴジラが省みられなかったのか、なんてあたりを追求すると、すごーく面白そうだ。

アメリカのゴジラ

元祖「ゴジラ」がヒットしたのを見たアメリカのコロンビア・ピクチャーズが、日本版の一部をカットし、アメリカ向けに若干のシーンを付け加えてアメリカ版を世に出したのは、元祖公開の2年後、1956年である。海の向こうでのゴジラの歴史はここからがスタートだ。

第2作以降も、ほとんどが何らかの形でアメリカ公開されている。ゴジラの名を冠したテレビ番組もあったし、ゲームも作られている。つまり、知名度に若干の差はあれど、日米ゴジラの歴史は、ほとんど平行して走っていることになる。

ゴジラの話になると、とたんに国粋主義者になる人たちがいる。けっ、と斜に構えた顔つきになって、「アメリカのゴジラなんて」という演説をはじめる。「所詮ガイジンにゴジラの美学はわからないさ」などという暴言を吐いたりもする。98年に公開された、ハリウッド版アメリカゴジラが気に入らないのだ。そう目く じらを立てても仕方ないだろうと思うのだが、ゴジラはなぜか国粋主義的な感情を呼び覚ますらしい。

まあ確かに、あの大イグアナはひどかった。あれはゴジラとは言えない。いくら昔の私が尻尾が欲しかったと言っても、あんなゴジラにになるのはお断りだ。

なにより、既存のキャラクターの形を大幅に変更するという発想が許されたのが不思議でたまらない。丸いはずのミッキーマウスの耳がとんがったりすれば、それはもうミッキーではない。その程度は初歩の初歩ではないのか。アメリカ版ゴジラの失敗は、程度の低いスタッフを集めたトライスターの間抜けとがさつが露呈 した結果である。無論東宝にも、お抱えキャラクターのイメージ管理を怠った責任がある。

しかし、あのイグアナ映画が失敗したのは、別にハリウッドの映画制作能力が根本的に不足しているせいではない。だから、スタッフ総入れ替えをすれば、もしかしたらものすごい傑作が生まれていた可能性は否定できない。

私はもう一回ぐらい、ハリウッドに「ゴジラ」というテーマに取り組むチャンスを与えてみてもいいのではないかと考えている。

彼らの中にだって、第1作目から熱心に見ているファンがたくさんいるのだ。ゴジラと共に育ったのは、日本人だけじゃない。再挑戦とあれば、前回の失望を教訓にして、ちっとは気合いも入るだろう。私は、イグアナでない、本来の姿のゴジラが、海の向こうでスターの地位を獲得する姿を見てみたい気がするのだ。なんというか、「下積み時代の長い苦労人」に、一度華やかなスポットライトをあててやりたい、そんな感じなのである。

ま、もう前作で懲りちゃっていて、ハリウッドのお金持ちたちは、誰もゴジラなんかには出資しないだろうけどね。あーもったいない。

©2006 Mieko Mochizuki Swartz. All rights reserved.