obakezukan logo
    

だいだらぼっち

オバケ度…
70%〜90% 
特定状況で「出る」   ?  相手無差別に「出る」  ○
会話は不可  △ 独自の論理   ○
異形の姿   ○

大きすぎるおばけ

だいだらぼっちは、日本各地に広く分布する伝説に登場する巨人である。大太法師と字をあて、だいだぼうしとも読む。怪力を持ち、富士山を一夜にして作ったとか、足跡が湖になったとかのダイナミックな逸話を多く残している。

秋田県の八郎潟を作ったとされる「八郎」という巨人や、九州の「大人弥五郎(おおひとやごろう)」も、名前こそ違うが、同じものだろう。

サイズの差がありすぎるため、だいだらぼっちと普通の人間との会話は、まず、考えられない。群馬県の榛名山に腰掛けて、利根川で脛を洗った(ふんどしを洗ったという説もあり)という話から類推して、どう少なく見ても身長は我々の数千倍、キロメートル単位だ。大きすぎる。これほどの差は、小人の国に旅行したガリバーだって、経験できなかったはずだ。だって、ありんことわれわれの差だって数百倍レベルなんである。もう一桁違ったら、会話はおろか、踏んづけたかどうか気にしてもらえるとは思えない。

私がだいだらぼっちを思うとき、浮かぶのは「孤独」という言葉である。

だいだらぼっちは、いつも一人で登場する。家族があった、という話も聞かない。だから、昼はひとりで山野を歩き回り、夜もひとりで平らな場所をみつけて休む。体力と孤独をもてあました、可愛そうなだいだらぼっち。




彼の叫び声は雷雲を呼び、頬をぬらす涙は、雨と混じって足元に湖を作ったかもしれない。なぜそう思うのかはわからないが、どうしても、だいだらぼっちは、こういう気の毒な巨人のイメージになってしまう。本人が聞いたら、失礼だと言って怒るかもしれない。

この種の巨人は、中国にもいる。天地を開闢したと言われる「盤古」というのが、それである。「万古の昔」という言い方があるが、「盤古」は「万古」と同じものなんだそうだ。詳しくは知らないが、こちらも天地を作ったくらいだから、仲間の存在は考えにくい。巨人は孤独な運命と決まっているのだろうか。

さて、平凡社の百科事典でだいだらぼっちの項を見ると、たった2行ほどしかない説明の半分近い文字数を割いて、何の脈絡もなく突然「東京都世田谷区代田の地名はこの伝説に由来」と書いてある。辞典の類には、時々こういう不思議な記述があって、遭遇するたび楽しませてもらえる。

代田は、駅で言うと京王井の頭線、小田急線の下北沢の付近である。自転車で走ると、アップダウンが多く、変速器ナシで前カゴに荷物を山盛りにしていたりすると、けっこうつらい地域である。でこぼこは、巨人の足跡の名残、いや、ぐいと踏んばったときの、足指の跡だと考えられる。

「ここは小指」
「ここは薬指」

なんて思いながら、巨人伝説にふさわしい大きな気持ちでペダルを漕げば、坂道も苦にならない、かもしれない。

©2006 Mieko Mochizuki Swartz. All rights reserved.