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おばけと幽霊

言語感覚のずれについて

柳田國男先生によれば、オバケと幽霊には断固たる違いがあるらしい。「妖怪談義」という一文の中で、センセイは「誰にも気のつくようなかなり明瞭な差が、オバケと幽霊の間にはあったのである。」と書いている。

この差がわからないのはとても恥ずかしいことらしく、「われわれは怪談と称して、二つの手をぶらさげた白装束のものを喋々するような連中を、よほど前からもうこちらの仲間には入れていないのである。」と言い放っておられる。

このさわやかな自信。柳田センセイは、論理の展開はへたくそだが、こういう風な断定は実に鮮やかで人の気持ちをとらえて離さない魅力がある。

しかし、この一文を読み、私は困ってしまった。私にはオバケと幽霊の明確な差はわからない。柳田センセイに馬鹿にされるのは悲しいので色々考えたのだが、やっぱりわからない。

幽霊は確かに成仏し損ねた死者の霊だろう。そこはセンセイと意見が合う。が、オバケの集合が幽霊の集合を含んでいるような気がする。私の記憶では、手ぶらぶ ら白装束は出てくるときに「うらめしや〜」とも言ったが「オ〜バ〜ケ〜」とか「オバケだぞ〜」とも言ったはずだ。自らオバケだと名乗っているのに、どうし て?

なんだか納得できない。

幽霊が必ず恨んでいるとは、センセイのご本だけでなく辞典の類にも書いてあるほどの常識である。でも、私自身には、そういう感覚もあまりはっきりとはない。

幽霊は柳の下や古井戸のそばを通りかかる人があれば、それが特定の恨みの相手でなくてもとりあえず姿を現して悲しみを訴えるのではないかという気がする。

こう考えるのは、お化け屋敷や夏場の肝試しで無作為にびよーんと出てくる幽霊のイメージを植え付けられてしまったせいかもしれない。あるいはテレビや漫画雑誌、怪談本などの影響だろうか。柳田センセイの時代のオバケは今のオバケととても違っているのだろうか。

一八七五年生まれのセンセイと、二十世紀も終わりの私では言語感覚が違って当然かもしれない。でも、辞書や百科事典の言うことと食い違うのはちょっとまずい。

しかし、こればかりは本物のオバケのいる場所へ出かけて確認してくるわけにいかないのだ。もうどうにも仕方がない。

そういうわけで、私は腹をくくることにした。

こ の「おばけずかん」の中では、自分の言語感覚に従い、不思議なもの全体をオバケと呼んでしまう。幽霊は成仏しそこねた人の霊。妖怪は幽霊以外のオバケ。た だし幽霊と妖怪以外にも分類不可能な独自の姿をしたオバケがいるので、オバケ全体の集合の中に、それぞれ重なりのない幽霊、妖怪、その他という三つのカテ ゴリーを考えている。

専門家のみなさん、ごめんなさい。

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