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ひゅードロドロ

なぜ、足がないのかなあ。

ある意味でオバケの代表選手とも言える「幽霊」には、色々気になることがある。

まず、足なし現象。

最初に足のない幽霊を発明したのは江戸中期の画家円山応挙(1733〜1795)だと聞いた。丸二百年も前の人だ。

円山応挙は花鳥風月から人物まで守備範囲が広く、品格ある画風で知られる立派な芸術家である。「藤図屏風」「雪松図屏風」などが代表作だ。決してオバケばかり描いていた変人ではない。

この画家の幽霊は非常に格調高く、ほとんど美人画のようである。恐ろしげな感じはない。この世とあの世の間に漂う、たよりなげな存在でありながら、現世のアブラっ気を超越した魂の清潔さを感じさせる幽霊である。

一人の名人の表現力がたまたま足のないオバケを描いた。落ち着く先を持たない、つまり、地に足のつかないはかなさ。それがあまりに幽霊のイメージを上手にと らえていたため、後の日本の幽霊の形態が変わったのだろう。名人の技である。それくらいの影響力があっても不思議ではない。

でも、写真を撮ってグラビア印刷するのは無理な時代に、浮世絵師ではない円山応挙の作品がどうやってそれほどたくさんの人の目に触れたのだろうか。今なら写真がふんだんに使われた雑誌はいくらでもあるが、当時は写真ではなく、木版画である。

これが応挙の幽霊。美人画ですね。応挙の絵を見た浮世絵師がそれを真似たのだろうか。それとも円山応挙本人が食い詰めて挿し絵でも描いたのだろうか。それとも弟子がこぞって師の絵を真似たのだろうか。江戸時代だから、アーティストの独自性なんて誰も気にしてなかっただろうし。

このへんは美術史を少し調べれば わかりそうだから、そのうち頭をつっこんでみたいと思っているが、どっちかというと、同じ時期に同じようなことを考えた人はたくさんいて、比較的時期がは やかった人の中で丸山応挙が有名だった、という程度のことのような気がする。流行ってのは、そんなもんでしょう。江戸時代の日本には、流行が生まれる程度 に濃厚な文化ってのがあったんですもんねえ。

オバケには足がないといわれているが、足音のするオバケは、けっこうたくさんある。深夜にオバケが廊下をたたた、と歩く音が聞こえたりするのは、日常茶飯事である。たしか水木しげるの絵と 思うが、いきなり巨大な足だけが座敷にドーンと現れるようなオバケもいた。ことオバケに関する限り、常識は持つだけ無駄、決めつけもまったくできないのであった。

(この項、次ページに続く)

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